8月21日 ~前略 親父殿~
8月21日 二年目の今日をむかえました・・・
二年前の前日の夜、仕事を早退し 親父殿の様子を深夜に看に参りました。
すでに痛み止めのモルヒネを自ら看護婦さんに願い出て 気持ちよく寝ておられました。
その傍らで私は ただただ親父殿の寝顔を見ておりました。
父親の寝顔をこんなにも長く見たのは多分それが最初であった・・・と今にして思います。
翌21日の朝 病院から『慌てずに来てください・・』との連絡を受け 病室に飛び込んだ時、実は昨夜見た親父殿と何一つ変わっていないことに・・・
何にも変わっていないじゃないか・・・
なにか特別なことがあったと勘違いしたんだ・・・
なにか治療に関して相談があるに違いないと・・・
ナースセンターに 何かありましたか?・・・
と今思い起こせば、現状を認識したくないという意味不明の言葉を発しておりました。
看護婦さんやドクターとともに再度病室に入ったときに 初めて酸素吸入器の器具から水の泡が出ていないことに気づいたのであります。
あれから二年であります。
私がなぜか受験学年をあずかる年にいろいろなことが起きすぎます。
今年は何もないように・・・と願っておりましたが このコロナ禍の中でのいろいろな出来事・・・
神は未熟な私には祝福よりも困難を与え続けているのかと錯覚してしまいます。
それでも
それでも まだ私は前を見ておりますし、見ようと日々努力は続けております。
幸せなことに、生徒はこの中でも元気でいてくれております。
彼らの元気が私を支えている以上 私は彼らに彼らが求めるものをすべて与えることができないにしても その門の近くまでは導いていかなければなりません。
何年も白板の前に立っていても 人様には方法論などを言葉にうまく乗せ、伝えきることができない未熟者であります。
が、だからこそ明日には何か今日と異なる風景があるのでは・・・と期待し続けて生きております。
『生』に固執するのではなく、いずれ来る『終』の際に 心置きなく鮮やかに散ってみせるためにも 日々を大事に暮らしております。
親父殿
今日 あなた方が眠る場所には なぜか愚息一人と光り輝く太陽だけ。
さみしくないようにと鳴り止むことのない蝉の声だけが響いておりました。
私が何度も墓石に水を流した時に 『あーーー気持ちいい・・』という親父殿の声が聞こえてきました。
さあ長居は無用ですね・・・
私は仕事に参ります。
今後来るときには 少し涼しくなっていればいいですね。
来るなと言われても また参りますので また相手してくださいね。
そうそう、禍の中では実家に帰れない私ですが、実家の隣のおばさんたちが 庭の雑草をとってくれて 花を絶やさずいてくれております。
親父殿 お袋殿の生き様を 数年たった今でさえ 忘れないでいてくれている人々がおります・・・
我が両親ながら あっぱれな生き様でありますよ。
では また参ります・・・
早々
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