8月21日 ~三年目の前略~
前略 親父殿
あなたが逝った日も3回目となりました。
お袋殿同様 三回目までは この雑記のとどめておく約束ですので 今年が最後になります。
このコロナ禍の中で あなたがおられたらどのように日々を そして世の中を見ておられたでしょうか・・・
毎朝 隅から隅まで数社の新聞に目を通され 世を見渡そうとした親父殿の事・・・
憂いておられる
悲しんでおられる
その姿が目の前に流れてまいります。
私にとって 親父殿は『強さ』の象徴でありました。
この歳になっても あなたの前に出れば緊張感が抜けることは無かったのであります。
そんな私が 二度 あなたに対して反抗した出来事がありました。
一度目は高校時代 あなたに生活態度等で注意を受けた際に私が夕食の最中に大声で
『ただの馬鹿にはならへん! 天下一の馬鹿になったる!』と啖呵を切った時。
二度目は 親父殿を緩和ケアー病棟に転院させるための話し合いの際・・・
『・・・』
これは活字には残せない。
私は結局 末期癌の告知を自分から 親父殿に告げる勇気がなかった・・・
今ではそう思っております。
いずれはまた実家に戻れる・・・奈良で一緒に暮らしていける・・と思っている親父殿に言い切る胆力を持ち合わせていなかった・・・
言わずともわかっている・・・なんて都合の良い言い訳で自分を欺いていた
後から 担当医から聞いた一言
『息子からそのことを聞きたかった・・・』と。
なんて弱い自分であろう
口に出さなければ 伝わらないことがある事を知っていたはずなのに
それに比べ あなた方お二人は 旅立つ前にすべきことを全て片付け・・・
強すぎる・・・お二人ともあまりにも強すぎる。
3年たち
『現実』とはいかに残酷で なんと崇高であるか・・・内なる自分に変化が・・・
今まで読書量では他者にそれほど劣っているとは思っておりませんでしたが
目の前の現実は 今まで読んだ悲劇(喜劇)を超えておりました・・・
悲劇と喜劇は紙一重
よくわかりました
言い訳かもしれませんが それから読書量が減ったのも事実であります。
今日は小雨が舞っておる霊園でありました
私は『生きる』ということも『働く』ということも まだまだやり遂げておりません
あともう少し、こちら側であがいてまいります
さあ 今日も生徒が教室に集まってくれます
彼らの前では ほんの少し先を生きている人としての姿を見せつけてやろうと思っております。
では親父殿 また会いに参ります
あ・・・いい声で蝉が泣いております。
早々