授業で言わなかったこと-(受動態)

2014年03月23日

日本の某言語学者がアメリカに家族と住んでいたときのこと、仕事先の大学から帰宅すると現地で雇っていたアメリカ人の家政婦が割れた皿を見せて”This plate was broken.”と言ったそうです。受動態ですね。ここで行為者を示す”by me”はつけられなかったことに注目。仔細を聞いてみると手を滑らせたのこと。学者は怒って”Sorry, I broke this plate.”と言うべきだろうというと、家政婦は大変不満そうな表情で「私は割ろうと思って割ったのではない。手が滑ったのは不幸な事故なので謝るのはおかしい。」と言ったそうです。

皿が一枚割れたという事実の捉え方にも、「私が割ってやろうと思って割ったのではないのだからあくまで事故なのだ。」という主張で相手を納得させ、皿の弁償をまぬがれようとするアメリカの文化と、まずは自分の責任として全面的に謝っておくことで相手の怒りを鎮めることが、結果として皿の弁償を免れることになると捉える日本の文化の違いを表すエピソードとして紹介されています。

それはさておき、先の”This plate was broken.”は直訳すると「この皿は割られました。」となり、日本人なら「割られたのであるから誰かが意志を持って割ったのだろう。」という意味になり、結局”誰々 broke this plate.”と変わらない表現となってしまいます。英語の授業で、受動態と言えば能動態⇔受動態の書き換えを練習することになるのも、日本語の上では能動態と受動態は意味上変わらないという短絡的な思い込みがあるからです。でも先のエピソード中の、”This plate was broken.”に込められたニュアンスを考慮すれば、日本語訳は「この皿割れました。」ぐらいが適切です。つまり少なくともこの場合、能動態、受動態での英語表現、” break”と”be broken”との関係は、日本語における他動詞「割る」と、自動詞「割れる」の関係にほぼ近いと言えます。

このように、能動態と受動態は、態の変換をすると内容が変わってしまう場合も多々あります。試験に受動態と能動態の変換の問題が出るのは場合によってはちょっとヘンテコで間の抜けたことなのかもしれません。

そんなこと言いながら、僕も能動態→受動態の変換を生徒にガッツリ練習させているんですけどね。「試験に出るのだからしょうがない、一種の思考訓練みたいなもの」ぐらいに考えてもらって、みなさん頑張りましょう。おお、生徒からのブーイングが聞こえる・・・。

こういうことを授業で話すと、面白がる生徒もいることはいるのですが、大半の生徒の頭には「?」が五個ほど並んで、埴輪のような顔になってしまうので言いません。また解ったからといって英語の成績が上がるわけでもないでしょう。僕も塾の講師であって、カルチャースクールの講師ではないわけですし。

ただしこれからも「授業で言わなかったシリーズ」は書きますので、興味があったらブログをチェックしてみてください。

・・・って、するわけないか。(笑)