平成三十年夏をふりかえり
9月がいつのまにかやってきていた。
『覚悟を示せ』と言って臨んだこの夏であるが、わかっていたとはいえ、現実はやはり軽くはなかった。
この夏後半授業が始まる前後から父の容体は日に日に悪い方に舵をきるのみで私にはどうしようもなかった。
20日(月)の授業は生徒には悪いことをした。
あの日の私は教室後ろにいるはずのない父に向けて授業を見せるためにおこなっていた。
生徒の顔を見ず、教室の後ろに立つ父にみせる授業に没頭した。。
『どや・・・これが俺の授業や!』・・・と
授業終了後、私自身の覚悟を示す鬼気迫る態度の異様さに 相棒の堀居先生から注意を受け、翌日からの授業停止を命じられた。
ぎりぎりに切羽詰まっていた状態なのは私自身もであった。
21日(火)午前8時半 病院からの電話があった
『・・・あわてないでゆっくりでいいですから病院に来てください・・・』と
喪主として父の葬儀を取り仕切ることになったが、一人では本当に自分の判断が正しいのか不安であった。
その際、弟がしっかりサポートしてくれた。
『そんな心ももちでは授業はしてはいけない!』とあの時も止めてくれた堀居先生の眼の正しさと、そのやさしさに感謝である。
注意してれる、怒ってくれる人がいる幸せをどうか生徒の皆さんもわかってほしいと切に思う今である。
発病後に父、母ともに私の前からあまりにも速く去ってしまった喪失感は正直大きすぎた・・・
正直言うと、この二か月間の記憶が薄い状態は今もである。
が、だからこそ見えてくる風景もある。
私は一人ではない・・・一人ではなかったのである。
多くの人の激励、叱咤を受けることができている自分の立ち位置の幸せを感じ取ることができた。
忘れようにも忘れることのない平成三十年の夏であった。
幸いというか、ビビりの私はどんな状態でも授業を万全とする準備はこのお盆休みに中にすべて済ませていた。
復活後後半の大事な授業を維持する基盤となった。
ただ、どうしても計10日前後、休まざるを得なかった時間的穴はまだ取り戻せてはいない。
堀居先生や講師のみんなに多大なる負担をかけてしまったことは取り返しはできない。
9月が始まる・・・
多くの人の手助けを得た幸せを今度はお返しするときである。
不器用だからこそ、日々を全力ですごす自分でありたい。
再度自分に問う
それでも受験生を送り出すために『覚悟を示せと』・・・
亡き 父、母に感謝を込めて・・