呼称と心情
久しぶりに投稿します。堀居です。
あだち塾の夏、前半戦もあっという間に終了しました。本日は少数の補習&宿題の解説のみ。
ここから僕はしばらく夏休みに入ります。
前半戦の総括として、特に中3はなかなかよくがんばっています。それぞれが夏休みの宿題であったり、授業であったり、積極的にこなしていると思います。
後半戦はもっとしんどくなります。2学期に向けて僕の知っていることはできるだけ詳細に伝えられるようがんばります。
生徒の皆さんも今は後半に向けての英気を養ってください。ただし学校の宿題はくれぐれも仕上げてくださいよ。
閑話休題。
僕は「先生」と呼ばれるのが嫌いです。正確には違和感があるという感じでしょうか。
思えば世の中先生だらけです。医者の先生、弁護士の先生、政治家の先生・・・まさに石を投げれば「先生」に当たる状態・・・
僕にとって「先生」と呼ばれるべき人物は、人に対して生きる姿勢なり、人格なりに多大な倫理的影響を与えられる人物であってほしいという希望があります。
特にこどもの心の成長に影響を与える職業と言う意味で、学校の先生だけは「先生」であってほしいと切望しています。そういうわけで僕にとっては、厳密な意味で「○○先生」と呼ばれるべき職業は学校の先生以外にはありません。
僕は自分のことを人を教え導けるような立派な人間だとはとても思えないし、これからもなれそうにないので、塾の講師で本当によかったと思います。
僕ができることは受験に必要な知識(厳密には情報)を伝えることであって、生きる指針を与えることではありません。しかし、便宜上「堀居先生」と呼ばれることが多々あります。あまり呼ばれ続けるとまるで自分が「先生」と呼ばれるにふさわしい人物だと誤解しかねないので、定期的に自分に「先生と呼ばれるような立派な人間じゃないぞ、思い上がるな!」と確認しています。
さて、生徒のほうでも、僕のそんなややこしい心の中を察知してか、呼び方には苦労しているようです。便宜上「先生」と呼ぶ生徒。でもど~も目の前のこいつは先生っぽくないんだよな~。
「お~い、堀居!」この呼び方も何人かいます。そうだよなあ。「堀居さん」では隣に住んでいる人ぐらいの距離感になってしまうものなあ。そこまで遠い存在でもないし。適度な親密さと若干の敬意を込めるなら、かえって呼び捨ての方がぴったりくる、というのが生徒の気持ちであることがとてもよくわかります。
そしてそんな気を使って話しかける生徒をとても微笑ましく思っています。
中には「ホリホリ!」。これはだいぶ近い感じに思ってくれているんでしょう。
どの呼び方でもかまいません!全部に「はいはい。」「なに~?」「ん~?」機嫌よく返事しますよ。