前を向いて
2015年08月14日
先ほど、郷里より戻ってまいりました。<(_ _)>
今年は例年の帰郷とはことなり、田舎の親父殿のお見舞いと、おふくろ様の手伝いのためでありました。
帰省したその日に病室であった父親は、今までに見たことも聞いたこともない弱弱しい声で
『おかえり・・・大丈夫だから・・・』とだけ告げ、薬のせいで眠りについてしまった。
予定より大幅に時間がかかった手術や現状をみると胸のざわつきが止まらない・・・
だからと言って、私にできることは限られている・・・たとえ親子としてもである。
だからこそ、今自分ができることを精一杯するしかない、いやそのために戻ってきた。
いずれ自宅療養となる日のための準備を・・・
いまからもう十数年前のことであるが、いまだに忘れたことはない
その頃、私は前職場で少し天狗になっていた・・・働き出して十年過ぎ、仕事も順調で、何よりも生徒からの信頼を得ていたと勝手に錯覚していた。そんな時、姉妹で預かっていた生徒の父親が急死した。
すぐに家に帰るようにという電話を取り次いだ時、葬儀で泣きはらした目をした姉妹が父親の遺影を胸に抱き、私の前を通り過ぎた時・・・私は彼女たちの眼を見ることも、声をかけることもできなかった・・・私には何もできない・・・
私は無力であることを思い知らされた。先生と呼ばれた私という存在は、何と弱弱しい存在であるか・・・
それからであろう、つらいものから眼をそむけるな!下を向くな、前を向こう・・・と思うようになった。
そして、今一番に何をすべきかを自問し続けよう、と念じるようになった・・・
親父殿は体につながれたいろいろなパイプを見たとき、生かされたと感じたそうだ。いまおなかに装着しているパウチに絶望を感じたそうだ。しかし、今後の相談のため看護師たちとともにパウチの装着や始末を見た日の翌日、父はおなかに出ているその部分を写真に撮ったそうだ。
なにかふっきれたようで、昨日帰るあいさつをしに行くと、初日とは明らかに異なり、眼に生気が戻っていた。
今を生きる・・・苦しい時こそ、しんどい時こそ、前を向こうとしていた。

さあ、私は私にできることを再開しよう・・・
間もなく朝9時、夏の宿題に苦心している中三生たちがやってくる。
私もいつもの顔に戻り、生徒に対峙する日々が始まる・・・
さあ、前を向こう<(_ _)>